
東京少年
小档案 メンバー 笹野みちる - ボーカル 手代木克仁(TESSHII) - ギター 中村英夫(中村コメタロー) - ベース 水上聡 - キーボード サポートメンバー 永井利光 - ドラムス 松前公高 - プログラミング 小简介 デビュー当時、レコード会社は笹野を前面に出したアイドル的なプロモーションを試みており、笹野は内心それに反発していた。リンドバーグの渡瀬マキや永井真理子などと同列の、ボーイッシュな女性ボーカルバンドとして扱われることがあったが、サウンド面にはU2やXTCなどのニュー・ウェイヴに影響を受けたと思しき作編曲が散見される。リリックにおいては、内面的で哲学的な詞や、大人の視点から思春期を回想するノスタルジックな詞、童謡・コミックソング風の詞まで、多様な詞世界が展開された。 大事件 1988年、同志社大学在学中の笹野を中心に結成。バンド名は、考えていた際にたまたま「東京少年」と書かれた筆箱があったことから命名したという。11月ビクターより、アルバム『東京少年』でデビュー。デビュー時のメンバーは笹野みちるのみであった。全ての作詞を笹野が担当。作曲も全て笹野(ex.「道の上」)。 1989年、サポートメンバーが東京少年の正式メンバーとして加入。前作に引き続きホッピー神山のプロデュースのもと、アルバム『原っぱの真ん中で』を作成。本作以降、作曲に他のメンバーも参加するようになる(作詞は笹野みちる)。 1990年、ミニアルバム『陽のあたる坂道で』発表後、ホッピー神山の手を離れ以降セルフプロデュースで作成を続ける。アルペンの「スーパースキー」CMソングに「Shy Shy Japanese」が採用され、スマッシュヒット。同年、アニメ『らんま1/2』のテーマに「プレゼント」が採用される。 1991年、9月29日の渋谷公会堂でのライブをもって解散。 3本のビデオを作成するが、それらを全て岩井俊二が監督する。 解散後は、笹野みちるは「ささのみちる」に改名(後に本名に戻している)。ソロやインディーズバンド「京都町内会バンド」を結成するなどして活動。中村も原みどりとバンドを結成、水上がジャズロックバンド「ラクダ・カルテット」を結成するなど、各自がそれぞれの音楽活動を続けている。
最新歌曲
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